吹き溜まり
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『神無き月十番目の夜』/飯嶋和一
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神無き月十番目の夜 (小学館文庫) 飯嶋 和一 小学館 2005-12-06 by G-Tools |
水戸城よりの言いつけにて、
常陸の小生瀬に来ていた旧御騎馬衆・大藤嘉衛門。
急な話であった上に、何やら村の様子がおかしい。
どの家も今しがた人が居た気配はするが、
居るはずの家人がどこにも見当たらない。
さらに、かつて嗅ぎなれた戦場の血の匂い…
小生瀬出身と知れた吾助から聞き出した「山林」の地へ赴くと、
嘉衛門を迎えたのは夥しい老若男女の無残な死の散乱だった。
現在絶版にて、入手するには本屋を巡るほか手段のないこの本。
著者の作品としてはお初の一冊目。
かなり前に気に留めていたのをすっかり忘れ、
今年になってふと本屋で背表紙を発見し、購入。
はじめ、時代背景がこんな昔だとは思ってなかった為に、
文章がなかなか読み進められなかったのだが、
波に乗ればもう続きが気になって気になって。。。
物語の構成は、最初に結果が示され、
次に至ったまでの経緯を登場人物の多視点にて綴っている。
結果が出ているからには、読み進めた先に待っているのは
悲劇に他ならない。
家康が天下統一して間もない頃、
武士は名目を失い、刀や鉄砲等の武器は
一介の民の持てる様なシロモノではない。
土地の扱いの改変を受け、各地の民は百姓に徹し、
高い年貢をお納めるべく、日々ひたすらに田を見つめるだけの生活を強いられてた。
かつての騎馬衆として、その力量は名を轟かせ、
それでいて性格温厚にて民からの辛抱も熱い石橋藤九朗。
物語の多くはこの藤九朗とそれに関わる人や状況が綴られる。
先に述べたが、既に結末は明記されている。
読み進めながら、その悲劇を回避できるかもしれないと思われる分岐点があるが、
やはり悪い方へと転がってしまう。
この作品何が凄いって、まるで史実であると錯覚できるほどのリアリティ迫る演出だ。
登場人物のセリフや心情描写が絶妙で、深く掘り下げるほど創作感は高くなり、
かといって表面すぎるとまるで脚本のように感じてしまう。
背景や時代描写も含め、読みながら本当にかの地で、
こんなことがあったんだと思わされる。
戦の悲惨さをしっている肝煎となる藤九朗は、
たとえどんなに生活が苦しくなろうとも、生きてさえいればと自身を抑え、
しかしその藤九朗の願いは村役以下多くの村民には察することできず、
時が流れると共に色濃くなるは惨劇の気配ばかり。
藤九朗、その意を酌んだ者、死の際で自分たちの状況理解した者、
彼らの無念が、果たしてこれは小説の中だけなのか。
大義名分を掲げ、村民全てをなで斬りにした後、
私利私欲と大義名分の核を見失い己が奪った夥しい背後の血で戦慄する者。
歴史に記されなかったこの悲劇が、実はかつて現実であったかと思わされる。
圧倒されました。
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